い つか貴方に逢う日まで

Vol.14

  真夜中に突然目が覚めたのは肌 に直接寒さを感じたからだ、眠気の残る重い瞼をしばたかせ直弥 は ベッ ドの上にもそりと起き上がると、また数度瞬きをした。暗闇に目が慣れるまで暫くかかった。灯りが落とされ静まりかえった部屋に男の気配が無いのはおそらく 仕事 部屋で残りの片付け でもしているのだろう。

 あの後、男はへそを曲げた直弥を宥めるように、髪の毛を弄ったり首筋や髪の毛に触れるだけの軽い口付けを何度も繰り返していたが、 それでも機嫌の直らな い直弥の態度に呆れたのだろう小さな溜息を吐いて、どこか少し名残惜しげに直弥から身を離し部屋を出て行ってしまった。
 汚れてた躯は知らず寝入ってしまった間に男が処理してくれたのかさらりとして乾いてはいたが、何も身にまとってはいなかった。勝手に機嫌を損ね た奴に、そこまでしてやる必要は無いと判断されてしまったのかもしれない。

 裸でも布団さえかけていれば十分過ごせる気候と室温だから、寝ている間に部屋が暖められていなくとも何も問題はないのだけれど、寝 相でも悪かったのか跳 ね飛ばされた上掛けはベッドの下にずり落ちていた。服を着てほんの僅かの間こ の部屋で過ごすくらいなら気にならないのだろう肌寒さも、日中から日も当たら ず室温の変化が少ない北側の部屋は、春先でも夜になると かなり冷え込む。なのに裸のままでは尚更寒さをしのげるはずも無い。

 それを意識し、更に寒さを感じたのか直弥は、ぶるるっと大きく身震いをすると落ちていた上掛け引っ張り上げ身体に巻きつけるように して中に包まった。そ のまま改めて寝なおそうと瞼を閉じてはみたが、一 度 休んで満足でもしたのだろうか後の眠りはそう簡単に訪れてくれそうにはなかった。
 寝返りを打つと首を動かすたび感じる違和感。何が気に入っているのかあれからずっと首輪だけは付けられたままなのだ、外してくれたのは風呂に入っている 間だけ。柔らい皮を使っているのか首が痛くなることは無いのだけれどあまり気持ちの良いものでもない。

この首輪は男にとって何の意味があるのだろう、いつも繋いでおきたいという意思の表れ?
もうそれと同等の事をずっと続けているのに今更なんだと言うのだろうか。

 男にしてみればただのおふざけの飾りでも、それを付けられる側の直弥の心中は穏やかではいられない。鍵がついているわけではないか ら取り去ってしまうの は簡単だけれど、そうなれば勝手な事をした『お仕置き』と称して苛められるのは明白。軽く唇を尖らせると直弥はもう一度寝返りを打った。 その動きに即発されたといいたげにぶるりと躯に震えが走る。生理現象だ……裸のまま眠って身体が冷え た せ いだろう。
そのまま我慢して朝まで過ごそうかとベッドの中で体を丸めるようにじっとしていたのだけれど、そういうことはなぜか一旦意識し始める必要以上に気に なってしまうもので頭の 中から追い払うのは難しくなってくる。

 黙って部屋を出たことがわかったら怒るかもしれない。様子を見に来るまで待っていようかと最初は思っていたが、いつ来てくれるかも わからない男を待って いる間に我慢が出来ず粗相をしてしまうのはもっと嫌だっ た。直弥はあれこれと考えをめぐらせて暫くはそのまま動かずにいたが、やがて、仕方が無いというようにもそもそとベッドの上に起き上がる。

 暗闇に慣れてきた目を眇めるようにしてきょろきょろと辺りを見回した。もしかして普段着ているようなバスローブがどこかに置いてあ るのではと思った の だ。しかし、部屋の中の何処にもそれらしき物が見あたらないのがわかると直弥は落胆したように大きな溜息を付く。今この家に自分とあの男以外はいないとわ かって いて もさすがに裸で部屋をうろつくのは躊躇われる。

 どうすればいいだろうかと再び考えあぐね直弥は床の上に落ちていたタオルケットを拾い上げると躯に巻きつけて思い切って部屋のドア ノブに手をかけた。
施錠されていないのを確認すると、少しだけドアをあけて外の様子をうかがう。人影の無いことに安堵し足音を忍ばせて部屋の外に出るとそそくさと用を済ませ また部屋に戻ろうとしたが、ふと途 中で視線の先にある部屋のドアの隙間から灯りが 漏れていることに気付き思わず立ち止まってしまう。

 余計なことをすると見つかるとも思うのに、どんな事をやっているのだろうかと好奇心の方が勝って、まるでその明かりに引き寄せられ るように結局は足を忍 ば せ てそこに近づいた。直 弥は出来るだけ見つからないようにと身をかがめドアをほんの少しだけ余計に開くと、出来た隙間からそっと中の様子をうかがって見る。

 ちょうど扉の隙間から目の届く範囲に、眉間に皺を寄せるように難しい顔をしてモニター画面を睨みつける男の姿が見えた。
 普段二人でいるときも難しい表情をしていることは良くあるがそれともまた違う真剣な眼差し。それだけでなく本を読むとき以外ほとんどかけない眼鏡にくわ え煙草もまた物めずらしい。 残り香から男が喫煙者であることは前から気付いていたが、こんな風にして実際に吸う所を目にするのは今日が初めてだ。見慣れないその顔はまるで知らない誰 かを見ているような気持ちにさえなった。
 
 微かに聞こえる話し声に混じり、穏やかなメロディがBGMのようにずっと流れているのが聞き取れた。おそらく男が今製作しているゲームの中の 挿入 曲、あるいはイメージソングか何かなのだろうと直弥は推測した。

 ゲームの類にはさほど興味のない直弥でも、こんな風に間近で見ていると今男があそこで何をしているのか不思議と気になる。男はいっ こうにこちらの存在に 気付く様子もなく淡々と仕事をこなしている様だ。声 をかけたいようで、その 邪魔をするのは躊躇われ声をかける勇気も出ずに、かと言ってその場から立ち去る事も出来ずにそのまま暫くそこで男の姿を眺めていた。

「―― そんなところで、何やってる」
咥えていたタバコを吸い終る頃、男はふいこちらを向いて少しだけ呆れたような笑顔を見せた。その所作はたった今直弥がここに居ることに気がついたというよ うな ものではなくかなり前から様子をうかがっていることを知っていていたというような面持ちだった。

「!?あ、あの……電気ついてたから、気になって、ご、ごめんなさい……」
黙って覗き見をしていたのを暴かれたという羞恥心から思わず口ごもる直弥を見て男は眉を潜めている。
「勝手に部屋を出ていいなんて誰が言った?」
「だって……と、トイレ行きたかったんだよ。でも、智史はいないし。ま、待ってようかと思ったけど、待ちきれなかったし。それに……鎖外れてたし……」
特に悪いことをしているわけでもないのにどうしても男の前だと下手に出てしまう、咄嗟に思いつく限りの言い訳を探す直弥のあわてぶりがおかしかったのか 男は苦笑交じりに小さく笑った後 「おいで」と直弥を手招きをした。

 「えっ!―― い、いいの?」
 「いいから、おいで。そんなところにいられると、かえって気になるから」
つっけんどんな言い方だったがそばに行くことを許してもらえたのが素直に嬉しかった。 近づくと、ここだよと言う風に腕を広げて笑ってくれた。その仕草に一瞬だけ躊躇するものの ここで強く拒否すると後でまた何を言われるか判らないと、少しぎこちない所作で男に促されるように背を向けた格好で腕の中に納まってみる。

直弥の身体を自分の腕の中に抱きとめると男は小さな笑い声をあげた。

「えらく挑発的な格好だな、ほんとは足りなくて我慢できずに誘いに来たんだろ?」
「なっ!!……だ、だって、上に着るもの何も置いといてくれてなかったじゃないか。……裸で部屋出るのはやだったし、だから、俺が悪いんじゃ……」
 裸の上にタオルケットを巻きつけただけの格好をそう言って揶揄されて、あわてて前をかき合わせるようにして身体をかくすと直弥は不満げに口を尖らせ た。ただ、からかっているだけなのだと判っていても、男の一言には含みがありそうでつい本気で受け答えしてしまう。
 万が一、ここでやりたいなんて言い出したら多分もう拒みきれない。恐る 恐る男の反応をうかがうと以外にも男は小さく笑っただけで『そうだな』といすの背もたれ に掛 かって いたフルジップ式のパーカーを手渡してくれた。

「とりあえずこれを上に着とけ、目の毒だから」
 その言葉に、悪いのは自分ではないと不服そうに口を尖らせた直弥だが、手渡されたパーカーだけは素直に受け取りそのまま素肌に羽織った。
普段は男が自分で使うのだろうか、コットン糸で編まれたニットのパーカーは直弥の身体には少しだけサイズが大きいかったが適度に着古された糸の柔らかさが 素肌に着ても自然と身体 に馴染み着心地が良かった。直弥がそれを着終わるのを見計らうようにして男は腕の中に抱きとめたその躯にうしろから両腕を回して自分の躯を密着させ、 首筋に顔 を埋めて匂いをかぐように鼻を摺り寄せてきた。

犬が主人にじゃれ付くように肩口に頭や鼻先を擦り付けてくるものだから、そのたびに髪の毛に首筋をかすめられて、そのくすぐったさに 我慢できず直弥が身を 捩ると『直弥の匂いに癒されてるんだ』などと事のほかまじめな口調でそう返されて妙に胸が騒いでしまった。
あわてて気持ちを落ち着かせようとかるい深呼吸を繰り返した、なのに男がじゃれつくのをいっこうに止めてくれないものだから全く効果がないのだ。これ以上 心拍数が上がったら気付かれてしまう、そう思った矢先、先ほどまで流れてていたメロディがトーン低めの落ち着いた曲から少しアップテンポの爽やかなものへ と変ったのに気付いた。おそらく、ゲームのステージが別の物に変ったのだろう目の前のCG画も草原を 連想させるような雰囲気のものになっている。

「さ、智史ってさ、ゲーム作る人なんだよね?」
「なんだ、気付いてなかったのか」
「だって、俺。あんまり興味なかったし……」
 今更なんだ?と言いたげな表情をされて思わず正直に答えてしまう。不機嫌になるかと思ったが、意外にも男は『そんなことだろうと思った』と笑っただけ だった。

「ね……こ、これって今、智史が作ってる奴?」
 話題作りの切欠が出来たとばかりに、矢継ぎ早に問いかける直弥の肩に男は自分の顎を乗せるような格好で背後から覗き込むと『そうだ』と返事を返して来 た。
「智史ってゲーム作るとき、何をする人なの?」
「企画がメインだな。ゲームプランナーとか言われてる。でも、それ1本でやっていくのはまず難しいから……そうだな、俺の場合はシナリオやキャラクターデ ザインまで大体自分でやる……場合によってはディレクターやプロディースとかプログラムも」
「そんなにたくさん、掛け持ちすんの!?」
 「会社にいてもある程度兼任するのはそれほど珍しい事じゃない。特に俺はフリーだから色々出来ないと難しいんだ、仕事が取れなきゃ食 いっぱぐ れるだろ?」
「そりゃ、そうだろうけど……」
男の口から聞かされる意外な事実に直弥はただただ驚くばかりだ。プランナーなどと言われても実際にはどんな役割を担うものなのかあまりピンとは来ないのだ けれど、自 分の得意分野だけをやってしまえば後は他に回して終わりだとそんな風にどこか短絡的な考えでいたのに、たった一枚の作品を作る事はどうやら自分が考えるよ りももっと大変なな物 のようだ。

 『数々のヒット作を生む、カリスマゲームプランナー』雑誌には確かそう書かれていた。そんな風にもてはやされている人間でもこの世 界で1つの事だけで生 きていくのは難しいのだと、それを当の本人である男の口から聞かされて直弥は驚きを隠せない。たった1本のゲームを作るのにどれだけの人間の手にかかり、 どれだけの時間を費やすのだろうか。当たれば膨大な富を生むがそうでなければかなりの痛手……と言うような簡単なものだけではきっと済まされないのだろ う。
 浮き沈みの激しいこの世界で、男は長い間ずっと一人トップを走り続けてきたのだろうか、その傍に今、自分がいることは男にとって何を意味するのだろう か。

「……どうした?直弥」
「え?……あ、ううん。なんでもない」
ぐるぐるとループするように終わりの無い迷宮にまた嵌りそうになった、突然話の時切れた直弥の態度をいぶかしむように問いかけた男の声でまた現実に引き戻 される。

「あ、あっちの家に持って帰ってきたのも、全部智史が関わった作品なんだよね?」
不思議そうに自分を見る男の視線に気付いて、あわてて取り繕うような笑顔を向けて話題を軌道修正する。
「そうだ」
「じゃぁさ、今までのゲームの中のキャラクターとか、あれも全部智史が考えたの?」
「あぁ…そうだ」
「へぇ……」
直弥は男の答えを聞くと何かを思い出したようにクスッと小さく笑った。
「―― 何が、おかしいんだ?」
その姿を見咎め、憮然とした口ぶりで男がそう問いかける。
「だってさ、どんな顔してあんなの考えるんだろって思ったら……」
 おかしくて、と直弥はどこか笑いを堪えるような顔をしてみせる。自分の大学の友人の中にはゲームオタクと仲間から揶揄されてしまうほどゲーム好きの男が 1 人居る。自分でも特にそれを隠すつもりも無いらしくおおっぴらに公言しているし、鞄の中には必ずその手の雑誌が入っていたり、自分の部屋にもゲームの中に 出てくるキャラクターのフィギアを飾っていたりするのだ。男の持って帰ったソフトの中には確かそれに類する物がいくつかあったように思う。それをこの男が 考えたのだと思うと、あまりにも似合わなさ過ぎて笑ってしまう。

「こんな顔だ、悪いか」
男はそれを聞くとわざとらしいくらいに深く眉間に皺をよせ難しい顔をして見せた。
「嘘だ、絶対もっと鼻の下伸ばして―― ぃって!」
からかいがちにそう言って笑ったら今度は思い切り鼻を摘まんで抓られた。
「笑いすぎだ!それに…俺が考えるって言っても伝えるのはイメージだけで、実際形にするのはまた別の人間だ」
声のトーンを低く落とし不機嫌そうな面持ちなのに、それでも瞳の色は全く怒っている様子はないのだ。
多分、自分も男も、いつもみたいにお互いにどこかぎこちない関係ではなく、普段から見知っている親しい友人のようにあけっぴろげな雰囲気で話が出来る今の 状態を楽しんでいるのだ。

そういえば、拾ったライターのお礼にと食事に誘われて一緒に過ごした時も、話題が無いのではと懸念していた自分の思惑ははずれて、話 題の豊富な男との会話 に引き込まれるようにして、いつしか自分も楽しんでいたことをふと思い出した。
まさかその後同じ男に、悪夢を見させられることになるとは考えもしなかったけど。

男は話の途中でふと何かを思い出したようにディスクの引き出しを開けCDの入ったケースを一枚取り出し直弥に手渡してくれた。

「 何これ…?」
「俺が独立した時に初めて作ったゲーム」

『しあわせかぞく』

およそ目の前の男とは似つかわしくないタイトルに知らず直弥の口元が緩んだ。 パッケージには子供が描いた落書きのようなタッチで、手を繋いだ仲の良い家族のイラストが使われている。
最初に選んだキャラクターが子供から大人に成長していくあいだに、選択する進路でその先どんな生活をおくっていくのかが決まるという内容のロールプレイン グゲームらしい。 組織の中に居れば売り上げが優先され自分の作りたくない作品にも手を出さざるを得ない、売れないとみなされればきっとすぐにボツにされてしまうのだろう、 だからフリーになり 自由になった記念にこれを作ったとそう言いたいのだろうか?

「選んでいくと最終的に bad end にたどり着く事もあるの?」
「……いや、それは無い。タイトルが『しあわせかぞく』だからな」
「ふーん……これって、人気出た?」
率直な直弥のその問いかけに男が苦笑気味の笑いを漏らす。
「―― 痛いところを突いてくるな直弥」
「えっ!?ごめん、そんなつもりじゃ」
「人気が出るも何も、結局販売しなかったから」
「せっかく、ここまで作ったのに?」
案がでて途中で結局はボツになったというのならば話はわかる、しかし今直弥の手の中にある作品はどう見ても完成品だ。なのに、世に出る間際になって急に取 りやめたのはどうしてだろう?

家庭崩壊などという殺伐とした世の中にあって、癒しを求める風潮はもう何年も続いていると思う。せめてゲームの中だけでもと救いを求 める人たちに、一時の 安らぎを与えるような内容の物は意外に売れそうな気もするのだけれど、それほど単純ではないと言う事なのだろうか。『売れてなんぼのもん』だとおどけてみ せるその姿にどこか違和感を感じながらも、それ以上は深く追求できなくて、この話はそれっきりになった。

会話の途切れた僅かの間に男は場を繋ぐように煙草の箱を手にして、中から1本取り出した。しかし、ふと何かを思い出したような戸惑い を見せたあと、せっか く取り出した煙草に火をつけることもせずもう一度はこの中にそれを戻したことを直弥は見逃さ なかった。

 「智史は、あのうちではタバコなんて吸わないよね、どうして?」
ディスクの上にある灰皿の中には沢山の吸殻が溜まっている。それを見ても普段は1日のうちにかなりの本数を消費するのだろうに、二人で居るときは男はそん なそぶりすら見せない。
「嫌いだろ?直弥」
「え?」
「喉が弱くて、気管支炎なりやすい……違ったか?」
思っても見なかった男の答えに直弥は勢いよく後ろを振り向くと思わす男の顔をまじまじと凝視してしまった。

「小さい頃は確かにそうだったけど。 でも ―― ってことは、俺の、ため……?」
「なんだその、意外そうな顔は……」
「ち、違うよ…ちょっと驚いただけ」
「何に?」
「そんな昔の事良く知ってるなって……」
男の言うように確かに幼い頃は少し気管支が弱くてよく風邪をひいた。しかしそれも一過性のものだったのか成長し身体が大きくなり体力もつくと次第に症状は 落ち着いて、今では直弥の身体が弱かった事など家族でさえ忘れているほどだ。なのに、どうやって調べたのは知らないがそんな昔の話を気にして自分の前 だけは律儀に煙草を堪えていたと言うのだろうか?

「直弥のことで知らない事なんて何も無いよ」
初めての頃ならその言葉を聞いて多分真っ先に湧いてきただろう嫌悪感や恐怖感はその時なぜだかあまり感じなかった。それよりもそんな小さなことまで知って いるのかと驚きの方が勝る。一体自分の何がこの男を惹きつけるのだろう同世代の友人達と比べても何か突出した特技があるわけでもない、容姿1つ取ってみて も自分より目の前の男の方がよっぽど人目を引く綺麗な顔をしている。
愛しげに目を細める男の視線を視界の端に止めまた心臓が騒ぎ出した。急に湧いてきた恥ずかしさに頬を高揚させ顔を 背けると、男は直弥の躯をもう一度膝の上に抱きなおして、『かわいいな』と首筋に口付けながらそう呟いた。

「そうやって、子供扱いして……」
「可愛いって思うのと、子ども扱いするのは違うだろ?」
「だって……女の人に言うならまだ分かるけど、自分と同年代の男の人や年上の人に”可愛い”なんて、普通言わないじゃないか……」
「”可愛いおばあちゃん”とか、”可愛いおじいちゃん”って言うだろ。でも、それは子ども扱いしてるのと違うよな?」
「そう、だけど……」
「からかってるつもりはないんだが、直弥はあんがい気難しいな。……それとも俺が直弥を可愛いと思うと何か不都合なことでもあるのか?」
そう問いかけられ直弥は思わず首を左右に振った。なんとなく上手く丸め込まれているような気もしないでもないのだが、男が、自分のことを本当に可愛いと 思ってくれるのならそれは嫌なことじゃなかったし、優しくされるのももちろん嬉しい。ただ今までが今までだったからその変化に中々馴染めないでいるのだ。

 だったらどうして最初からもっと……?不意に零れて落ちそうになるその言葉を直弥は今だけぐっと飲み込んだ。言いたいことは山ほど もある。聞きたいこと も1つや2つどころじゃな い……。しかし、ここでそれを持ち出 したところで何が変るというのだろうか過ぎた時間を元に戻すことなど出来るわけもないのに。 
 男が何をしたかったのか、これから何をしようとしているのか、いまだに謎の部分は沢山ある。判っているのは男が直弥の気持ちに少しずつ歩み寄ろうとして い ることだけ。
ならば昔のことを今ここで穿り返し、塞がりかけているほころびをまた大きく広げるよりも、これからの自分たちの関係がよりよい方向に修復するのを選ぶほう がよっぽど意味のある事ではないかと直弥はそんな風に考えたのだ。

「智史は俺を、本当はどうしたいと思ってるの……?」
唐突に紡ぎだされた直弥のその問いかけに驚いたのか、小さく息を呑む男の躯の震えが背中越しに伝わって来た。

「嫌われたいなんて本気で思ってるわけじゃないんだろ……?嫌われたいなら二人でいるときだけ煙草を止めたりして、俺に気を使う必要 なんて全然ないじゃ ん」
 直弥の問いかけに男は何も答えない、しかしそれがかえってその問いかけを肯定しているようにさえ感じられる。本気で嫌われたい、憎まれたいと思っている わけではないのだと言うその証拠に、近頃の男の言動は以前よりずっと優しい。おそらくそれは自分が少しでも男の傍に歩み寄ろうとしたからではないだろう か。
 男が自分の前で見せる姿の、どこまでが嘘でどこまでが真実なのか本当のところは自分には判りようも無いことだけれど、もしかすると今までも直弥自身が気 づかなかったところで一人思い悩んでいたのかもしれないのだ。男のやり方はどう見ても正しいとはいえな い。だけど、目の前にいるこの男の全てが虚像で 塗り固められているとは直弥には到底 思えなかったし思いたくもなかった。

「俺ね、今日こんな風に智史と普通に話せて嬉しかったんだよ」
それは嘘偽りの無い直弥の本心だった。このたった2日間ほどで男の色々な顔を見た、強引にあのうちに連れて行かれて無理矢理自由を奪われた数ヶ月 の間には知りえなかったこ と、知ろうとしなかったこと。
少し理解出来ることが増えたからと言っても、男の罪が無くなってしまうわけではない。だが、もしかすると自分の気持ち次第ではこれから先、二人の関係が もっと色々な形を辿ることは不可能ではないはず。
 
 憎しみからは何も生まれはしない、 だからこれ以上傷つけあったりするのではなく、お互いのことを判り合って認め合えるような穏やかな関係に修復したいと思う。何をどうすれば一番良いのかは 判らないけれど、一緒にいる間に少しでも彼に近づきたいのだ。

「俺……智史の笑ってる顔好きだよ。すごく優しい顔してるの知ってる?」
そう問いかけたら、男は酷く驚いた顔をして直弥をみつめた、自分でも気づいていなかった事を直弥に指摘され困惑しているという表情だ。

「智史にはもっと笑っていて欲しい。嘘じゃないよ。だって、誰かを思い出すとき、その相手が怒ったり哀しんだりしている顔を思い出す よりも、笑顔を思い 浮かべる方が優しい気 持 ち になれるでしょ?」
感情の乏しい人間、特に喜怒哀楽の喜と楽が極端に不足している人だとずっと思っていたけれど、こんな風に間近で心を砕き接するとそれは違うのだと判る。自 分の感情を人前で表に出すことが少しだけ下手なだけなのだ。
困惑しているのかそれとも直弥の急な変化に戸惑っているのだろうか、先ほどから何も言わない男は驚いたように何度も瞼を瞬かせるだけだ。

「智史の笑っている顔がもっと見たい。どうしたら智史が笑顔でいてくれるのか、今はそれを知りたいよ。そのために俺に何かできる事あ る?あるなら教え て」
どうしたらこの男の心の闇を少しでも晴らす事が出来るだろうか、自分にその役を担うことが可能ならばその方法を知りたいと直弥は思う。本当はもう手の届く ところまできているのかもしれない、だったら尚更今よりももっと側に行きたい。そんな風に考えるのは間違っているだろうか?

「傍に――」
「傍に?」
「傍に居てくれ、直弥。これからも…ずっと」
「これからも……?」
問い返したら男は笑った。その笑顔がとても哀しくて、だから直弥は言ってしまったのだ。
「―― 約束する、どこにも行かない。智史の傍にいる」
直弥はそういうと少しだけ間を置いて男の目の前に小指を差し出した。

ゆびきり

「何?」
「……ゆ、ゆびきり」
その言葉に男はクスッと小さく笑う。
「あ、今…子供っぽい事って馬鹿にしただろ!」
そういって拗ねたように軽く唇を尖らせた直弥の目の前に男の小指が差し出された。それを見て瞳を輝かせた直弥は少し照れくさそうにでもどこか嬉しそうな表 情で差し出された男の小指に自分の指 を絡める。

多分、今はこれでいいのだ。憎しみ合いながら互いに辛く苦しい思いをするよりも、相手の事を少しでも理解して好意を持つのは悪い事じゃ ないはず。彼の事が少 しでも理解できたならまた新たな巧妙も見えてくるかも知れないのだから。


「困ったな……」
絡み合っていた指が離れた後、男はそっと触れるだけの口付けを直弥のくちびるに落とて苦笑交じりにそう呟いた。
「え?」
「直弥があんまりかわいいもんだから、また抱きたくなった」
「な、なんで!すぐそっちに考えが直結するんだよ!」
「ダメなのか?」

そう言って男は酷く残念そうな顔で直弥を見た。こんなのは反則だと直弥は思う、今までならこちらがかまうとかまわずとに関わらず、自 分がその気になればい つでも強引に事に及んでいたのに、もちろんこちらの気持ち など無視したまま強引に迫られるより良いには違いないがあまりにも極端すぎるこの変化は調子が狂う。

「あ、あんただって、まだ仕事残ってるくせに!!」
そう言って勢いよく立ち上がり、あわてて男の側から離れようとした。そのときだ、腰に巻きつけたタオルケットを力任せに引き寄せられた。不意を突かれてバ ランスが崩れそのまましりもちをつくような格好で男の膝の上に逆戻りしてしまった。

「何すんだよ、危ないだろ!」
 横抱きの格好でまた膝の上に抱き寄せられて声高にそう言って顔を上げたら自分をみつめる男の瞳と視線がかち合った。艶を帯びた誘うような眼差しに、直弥 は頬を染め見てはいけないとあわてて視線をそらせてしまう。
 魔力があるのだ、あの瞳(め)には。捉えられたら最後、逃れたくても逃れられない。しかしそういう率直な直弥の態度がかえって男の劣情をそそるのだと当 の本人は気付くよしもない。

「ナオ」と、もう一度宥めるように名を呼ばれた。視線を泳がせたまま直弥は「何?」と答える。
突然、顎をがっちりと捉えられ強引に上を向かされた。痛みに顔をゆがめて嫌がって身を捩るのに男の力は弱まるどころか更に強められその息ぐるしさに、背を 這うようにじわりと恐怖感が湧いてくる。やめてよ…と弱々しい声で訴えかけうっすらと瞼を開くと、行為とは裏腹な優しい瞳に捉えられてしまった。
「ヤダって、言ってっ……」
あわてて身を捩り、紡ぎだそうとした拒絶の言葉はその後の熱い抱擁と口付けにあっけなく飲み込まれてしまう。こうなってしまうともう手遅れだ、直弥の快楽 のポイントを開発したのはこの男。この先直弥がいくら抵抗してみせたところでその気力を奪うことなど男にしてみれば赤子の手を捻るよりたやすいに違い無 い。案の定、次第に深く濃厚になっていく口付けを前に、抵抗する気力は失われてしまった。

「おやすみのキス」
 休み前に気持ちを落ち着けるための行為にしては濃厚すぎるくらい熱い口付けを浴びせかけたあと、そう言って男はやけにあっさりと直弥の身体を解放した。 散々口内を貪られて半ば放心状態のまま直弥は肩を大きく上下させ、荒くなった息を整えている。
「ほら、見えてる」
抵抗した時に腰に巻きつけたタオルケットがずれ落ちたのだ。それを笑いながら男が整えてくれる。その声ではっと我に返り、その手を払いのけるように してあわてて前をかきあわせた後、直弥は男の顔を睨みつけるようにして膝の上から降りた。
「お、おやすみ……」
前件撤回したいと思うのはこういう時だ。これ以上の戯言にはもう付き合っていられないと、そう言って直弥は部屋を後にした。
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